【資料館の特色】
私たちの「長崎人権平和資料館」は、国内にあるどのような資料館とも際立って異なっている特色が3つ、あります。
【純粋に市民の力だけで作り上げた資料館であること】
長崎人権平和資料館は、その構想に始まり、土地・建物の確保、資金調達(もちろん借金です)、展示計画、展示物作成‥‥等々、すべて、行政や企業の力を一切借りず、完全に市民の力だけでやりとげました。日本はもとより、世界的に見てもこのような資料館は珍しいと思いますし、このことを私たちは誇りに思っています。また、毎日の受付など、資料館の運営はたくさんのボランティアの方々によって支えられています。理事会が中心となって様々な企画も行っていますが、この理事会の実態にしても主婦・教員・サラリ−マン・年金生活者といったごく普通の市民の集まりです。名実ともに「民衆による、民衆のための資料館」といえるでしょう。
【日本の加害責任・補償問題に焦点を絞った資料館であること】
日本の多くの「平和資料館」は戦争の悲惨さを、被害者の立場から訴えています。太平洋戦争で日本は300万人以上の犠牲者を出しており、もちろんそうした被害者としての「苦しみ」もきちんと継承していくことは大切です。しかし、そもそも太平洋戦争は、明治以降日本が行ってきた近隣アジア諸国への侵略の帰結であり、朝鮮・中国・東南アジア諸国にとって日本はまぎれもなく「加害者」でした。アジア全土で日本による土地や資源の奪取が行なわれ、たくさんの人々が殺されました(一般に日本軍による犠牲者は2000万人と言われています)。私たちの資料館は、この日本の「加害性」にこだわっています。どんなにつらく、醜く、おぞましい歴史でも、それが真実であるならばしっかりと見つめなければなりません。私たちの「現在」は「過去」の上にあり、「未来」もまた「過去」と無縁ではありえないからです。強制連行・強制労働・虐待・酷使・日本軍「慰安婦」・朝鮮人被爆者‥‥こうした「負」の事実を正しく伝えること、侵略された人々の痛みを知ること、そうした視点から、展示は構成されています。
【「学び」「集い」「行動する」場としての資料館であること】
私たちは、この資料館を単なる資料の陳列場ではなく、来館された方が見て、考えて、行動をおこすきっかけとなる場であってほしいと位置づけています。裁判などを通じて争われている戦後補償問題は、今、まさに私たちが生きているこの時に、日本の無責任性が問われている問題です。しかし、あまりに問題が大きすぎ、何かをしようと思っても「何をどうしたらいいかわからない」「自分一人ではどうすることもできない」と無力感におそわれるのも事実です。そうした「思い」を持つ人々が出会え、集える場として長崎人権平和資料館はありたい、と思います。
もともとは中華料理店だったビルを改修して作った私たちの「長崎人権平和資料館」は、本当に小さな資料館です。しかし建物は小さくとも、この資料館は日本の未来を問い、私たちの生き方そのものを問う、真摯なものでありたい、と私たちは考えています。
最後に、来館された方の感想を。
「弱者の側に立つか、権力者の側に立つか、どの位置から社会や歴史、人間の生き方を見ていくかで、その人の『それから』が違ってくると思います」
あなたも、どうぞ私たちと一緒に「行動」を始めませんか。どんなに小さくても、それがすべてのはじまりです!